
高校球児はバッターボックスに立っていた。
4点を追う最終回。ワンナウト、ランナー1塁。カウントはツーツー。
3年生の彼にとって、高校球児として臨む最後の大会である。
なので、もしこのまま負ければ、問答無用で引退ということになる。
相手ピッチャーの調子が、思ったより良い。研究して対策を練っていたはずなのだが、
予期していたより遥かに良い球を投げてくる。
だが、9回を投げてきた相手ピッチャーは、さすがにややバテ気味だった。
真夏の日差しがグラウンドに降り注ぎ、陽炎があちこちに立ち上っている。
チャンスかもしれなかった。
高校球児の視線は微動だにせず、ただじっとピッチャーの動作に注がれている。
そして、5球目。
ピッチャーが投じたスライダーは、完全な失投となってど真ん中に入ってきた。
行ける!
思うより早く、高校球児はバットを振りぬいた。
何万回、何十万回と繰り返してきた素振り、筋トレ、ランニングなど、
野球に費やしてきた全ての時間が、この瞬間に集約された。
彼が野球を始めたのは、小学校3年生の頃だった。
「野球楽しい?」
人に聞かれるたびに、彼は返事に詰まった。
楽しい、楽しくないと自覚する以前に、彼はただ夢中で野球を続けていたのだった。
小、中と野球漬けの日々を送った彼は、地元愛媛の県立宇和島東高校に入学する。
同校は、1988年に甲子園初出場にして初優勝の快挙を成し遂げ、
その後は甲子園の常連校として全国に名をとどろかせている強豪で、
メジャーリーガーの岩村明憲を始め、多くのプロ野球選手を輩出している。
決して野球のエリート高校ではないが、その分、1から鍛え上げられて
強くなっていった、いわば雑草魂が根底にある高校だ。
ちなみに、彼が在籍していた当時の野球部の練習量は、凄まじいものがある。
学校の授業が午後3時半に終わり、その15分後には練習が開始、午後9時半まで続く。
帰る頃にはくたくたに疲れきっており、夕食を食べて風呂に入ると、あとは眠るだけ。
翌日になっても疲れが抜けないため、授業は眠って過ごすことが殆どだったという。
休日は、朝9時から夜9時まで練習漬け。
もちろん、夏休みもゴールデンウィークも無く、練習が休みだったのは正月の3箇日のみ。
高校球児には彼女がいたが、デートをするヒマなどとても無かったという。
途中、野球が嫌になり、練習をさぼりがちになった時期もあったが、
彼は野球を辞めることができなかった。
結局のところ、彼は野球が大好きだったようだ。
そして、高校球児は晴れてレギュラーの座を勝ち取り、
甲子園に2度出場という華々しい活躍を残す。
だが、時はたちまち流れ、いつの間にか高校生活は残り少なくなっていた。
卒業後の進路についても、真剣に考えなくてはいけない時期に直面していた。
そんな中で迎えた、最後の大会だった。
ガチン!
高校球児が振りぬいた打球は、ゴロでショートの前に転がった。
完全な打ち損じだった。
全力で走り、ダブルプレーは辛うじて逃れたが、1塁ランナーはセカンドで
ホースアウト。
「あっと1人!あっと1人!」
相手チームの応援席から大歓声が上がる。
ぼんやりと1塁ベースに佇みながら、高校球児はこのとき初めて思った。
「ああ、負けるんだ・・・」
それから10年の月日が経った。繁森優(28歳・役者)は、当時を振り返ってこう語る。
「プロになるような人って、甘いボールを絶対に逃さないんですよ。
例えばうちの4番打者なんか、失投が来たら絶対にしとめてましたし。
けど、僕はしとめられなかったんですよね。それで、野球を辞めることを決めたんです。
だから、もし僕があのときスライダーを打ってたら、今こうしている自分が
いなかったかもしれませんね」
野球を辞めることを決意した繁森に、野球一筋で生きてきた姿を
見守り続けてきた両親は、どんな形でもいいから続けて欲しいと反対した。
だが、繁森の決意は変わらなかった。
高校卒業後、繁森は地元の企業に就職。平穏で安定した日々を送るようになる。
20歳頃に、もう一度野球を始めようと思ったことがあった。
プロテストを受けるなり、実業団に入るなり、方法は色々ある。
だが、あと1歩足を踏み出すことができなかった。
「会社では中堅くらいの立場になってたんです。そこそこ給料ももらってたし、
安定した生活を送ってたので、その生活に負けてしまったんですね。
その生活を捨ててまで、野球をもう1回やることができなかったんです」
後に、繁森はこのことをひどく後悔する。
「後悔は1度だけでいいや」
そう思った繁森は、23歳の頃に会社を辞め、芝居の道に進むことを決意して上京する。
それにしても、なぜお芝居だったのだろう?
「目立ちたかっただけなんでしょうね」
繁森はさらりと答える。
もともと、繁森は映画の世界に興味があったのだが、養成所で舞台に立って以来、
たちまち虜になった。
「生でお客さんに見てもらえることが快感ですね。舞台って空気が伝わるんですよね。
面白いも、つまらないも、感動して泣いてる人がいるのも。
その快感にやられちゃいましたね」
養成所を卒業後、繁森は人生初のアルバイトで生計を立てながら、
フリーで演劇活動を続けた。
「本当に色々やりましたね」
と語る通り、繁森は精力的に舞台に立ち続けた。
走る都電荒川線の車内で芝居をしたこともあれば、
喫茶店の店内で芝居をしたこともある。
女優にボコボコに蹴られる役を演じたこともあれば、
お笑い芸人、鳥居みゆきの単独ライブに参加したこともある。
多くの人間に出会い、影響を受けながら、
繁森は役者としても人間としても成長していった。
中でも忘れられない出会いがある。客演で参加したとある劇団の演出家だ。
カリスマのような存在として知られているその演出家は、初顔合わせのときに、
役者達を集めて熱く語った。
「あなた達はこれで飯を食っていかなければならないんですよ」
それまで持っていた価値観を逆転させるような「プロ論」に、
繁森を始めとする役者達はたちまち引き込まれた。
「その劇団では、1回1回の稽古が闘いなんですね。
役者同士の闘いでもあるし、演出家との闘いでもある。
自分の中で芝居への取り組み方が本当に変わりました」
演出家は、繁森に「自分と闘いなさい」というメッセージを与え続けた。
そして繁森はその言葉に応え、闘い続けた。
「短い間でしたけど、そういう密度の濃い時間を一緒に過ごした役者達とは、
本当の意味での仲間に出会えたって感じなんです。
ライバル意識は全員にあるんですけど、今でも仲が良いですし、
数年来の仲間みたいな感じで接せられるんです」
その劇団で学んだ経験が、繁森の演劇へ取り組む姿勢の根底となっている。
「ただ友達作りで劇団とかやるなら、時間の無駄じゃないですか。
僕は戦友が欲しいんです」
現在所属している劇団、「元氣エンターテイメントシアター」の団員とも、
戦友のような関係でいたいのだと語った。
いつか、ブログの中で彼はこう書いていた。
ここに一部抜粋する。
「有名で売れてる劇団に入れば、「売れる。」
という認識が生まれると思います。でも、大きな劇団には僕の想像できない
厳しさが当然あり、勝ち抜かないといけないと思いますが。
僕がいるのは、有名でもなければ、老舗でもない、出来たてホヤホヤの劇団です。
稽古場もあり、作・演出をしてくださるプロもちゃんといて、
環境はかなり恵まれています。
その環境に甘えている人はいませんが、なにか「厳しさ」が感じられなかったのです。
みんなライバル。
性別、キャラ等いろいろありますが、僕はみんなライバルだと思っています。
全員主役をやれるわけではないですし、作品の内容によれば出れない人もでてきます。
僕はそんな悔しい思いはしたくないし、そのつもりもありません。
勝ち取らないといけないんです。みんなに敵意むき出しで。
でもそれは稽古中だけ。稽古が終われば仲間です。
しかし、僕の感じるものは友達でなんです。戦友になりたいんです。
そうすれば必ず、「売れる」劇団の仲間入りができると信じています。
当然、この考えだけではなくもっといろいろあるはずですが。
劇団のみんなに強要する気もないですし、個々の考えがあり、
みんなで理解すればきっといい方向に進める。
僕もみんなの意見を聞きます。これからずーっといる仲間ですからね。
でも一つだけ。みんなの考えを理解し、それでもダメだったら。
31人全員戦友と思えないなら。辞めます。
まず、自分を追い込むとこからはじめます。
このブログを読んで、独りよがり言ってんじゃない!っと思われる方がいたら、
意見を聞かせてほしいです。その意見を心底考えたいのでよろしくお願いします」
役者活動を続ける繁森の中に、高校時代の野球部の監督の言葉が今でも残っている。
「お前はこないだ練習を休んだから、あのフライを取れなかったんだ。
練習を真面目にやっていれば、難しいゴロも自然とお前のグローブに入ってくる。
バッターボックスに立っても、ピッチャーが失投をしてど真ん中に投げてくる、って。
普通に考えれば、そんなはずないんですけどね」
繁森はそう言って笑う。
「野球論というより、人生論に近いんですよね。今でもふと思いますもん。
芝居で下らないミスをすると、あのときのあれが原因だったのかなって。
実際その話を人にすると、ああ、そうなのかもねって共感してくれる人が多いんですよ」
最後に、目標を尋ねてみた。
「親孝行をしたいですね。自慢の息子になりたいんです。
テレビに出たりして、あれが自慢の息子だよって。
親はそれを望んでないみたいですけどね。愛媛の宇和島っていう小さな町で、
息子に買ってもらったベンツを乗り回したりしてもらいたいんですよね」
余談だが、彼は大のプロレスファンである。
ちなみに、僕も根っからのプロレスファン・・・。
取材中ということを忘れ、僕と彼はたっぷり20分はプロレス談義に花を咲かせた
(悲しいことに、現代においてプロレスファンの同士と巡り合うことは希少なのだ)。
いつか、チャーシュー力(埼玉にあるラーメン店)で一緒にラーメンをすすり、
その後アントニオ猪木酒場で朝までプロレス談義を交わしたいものである。
繁森さんのブログ「続・ユウの独り言」です
↓
http://ameblo.jp/yu-shigemori/
2008.9.8 written by コエヌマ カズユキ
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